Re: 大阪の小学生殺人事件その他
投稿者:鈴木健太郎
投稿日:2001/06/15(Fri) 21:30:10  教員はそのような事態が起こることを予想しているのだから、そのことには問題があります。
予想=期待(expect)ですから。
あるいは予言というのは暗示ですから。
まあ大学改革とか教育改革とか盛んにいわれますが基本的に教員の失業を防ぐのと失業予備軍の学生を吸収するための議論ですから、学校にはその種の予想=期待しかないのではないですか。
むしろ教員も学生も自分たちは「潜在的失業者」であり、自分がいなくなっても(自分を見ている人がいなくても)自分の属している世界システムは、質は別とすれば同じように動いてゆくであろうという観念が必要なんでしょうね。
逆にいえば現在の犯罪に「新しさ」があるとは思えません。むしろそのような犯罪がいかに古くさいものであるかということを認識する方が教育的なのではないかと思います。
別に最近の子が「分からない」ということは思いません。
あまり「分かる」ともいえませんが、「黄色い自転車」というのは子どもの思いつきとしてはありがちな感じがします。
大体黄色い自転車はあまり無いので、言葉だけでつくった言い訳という感じがします。
盗んでいいという論理を立てるのは屁理屈ですが結構私は屁理屈は考えたと思う。
教員という人たちが基本的に論理的で無いというのは昔からで、「論理」自体はそれへの抵抗としては使えることは確かです。
見られなければ何をしてもいいというのと見られるためには何をしてもいいということ(盗撮の本でも読まれればいいということ)は裏腹ですね。
しかしサルトルという人は見る―見られる関係に対してそれとは別の「まなざし」が人間に向けられているといったそうですが……。
|